社会人サッカーメディアCamffice。
今回は、ソフトウェア開発会社Footbank Systemsを経営する濵田暁生氏に取材を行った。
濵田氏は現在に至るまで、ITエンジニア、家具職人、デザイン学校、二度目の大学、起業、共同経営の解消、そしてFootbankとの合流という、多様な経験の中で現在の経営者というキャリアを形成されている。
本記事では、濱田氏の意思決定や、マインドセットに触れながら、そのキャリアについて迫っていく。
・濵田氏のキャリアを進めてきた、意思決定方法やマインドセットとは?
・現在経営されるFootbank Systemsの在り方とは?
・何故濵田氏は現在社会人サッカーを支援されているのか?
・濵田氏から、これからを生きる若者へのメッセージとは?
変化の激しい時代を生きる若者にとっての、一つの選択肢となり得る、濵田氏のマインドセットとキャリアに注目だ。

プロフィール
濵田暁生
50歳(取材時)
Footbank Systems代表
ソフトウェア開発会社にて、SESや受託システム開発を行う。ITエンジニア、家具職人、デザインと経済を学び、複数回の起業を経て、現在のFootbank Systemsを経営。社会人サッカーチームFC.BANDELIEのスポンサーも務めている。
――本日は、お時間頂きありがとうございます。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
――今回の取材では、濵田さんのキャリアをこれから深掘りしてお話を伺っていきたいのですが、その前にまずキャリアを形成されてきた、濱田さんのマインドセットや、価値観についてお聞きしてみたいです。
一番短い言葉で表すなら、「良い人でいましょう」ということです。
もちろん、「良い」という言葉は相対的なもので、何を良いと考えるかは人によって違います。それでも、儲かるかどうかや、自分が何かを得られるかどうかより先に、「それは良いことなのか、悪いことなのか」を考えるようにしています。絶対的な正義ではなく、まずは自分の中にある善悪を、判断の土台にするということです。ただ、自分の考えを無理に押し通すことはありません。経営には、社員やお客様、社外の関係者など、さまざまな立場の人が関わっています。そのため、それぞれの考えを踏まえながら、最もバランスの取れるところを探すことを大切にしています。また、私は大きな目標を一つ立て、そこから逆算してキャリアを歩んできたわけではありません。「こうならなければならない」という強い欲求もないんです。大きなビジョンから逆算するというより、目の前の状況に向き合い、その時に必要なことを見極めて行動する。それが、私のキャリアを形成してきた考え方だと思います。
――ありがとうございます。現在のマインドセットや価値観は、どのような経験から形成されてきたのでしょうか。ここから幼少期まで遡って現在までをお聞きしていきたいです。
「この出来事があったから」というような、強烈な原体験はありません。
おそらく、恵まれた環境で成長できたことが大きいのだと思います。自分に足りないものに固執する必要がなかった。そのため、自然と外に目を向けられたのかもしれません。私は、4人きょうだいの長男です。幼少期に埼玉から秋田の、自然豊かな田舎町へ引っ越しました。祖父母を含めた8人家族で、自然の中で育ちました。小さい頃から、下には三人のきょうだいがいました。自分のことだけを考えていては、生活が回りません。そうした環境の中で、周りを見る視点が自然と身についたのだと思います。一方で、強い欲求のようなものは、あまりありませんでした。「お金持ちになりたい」「社会にこう貢献しなければならない」「人間はこうあるべきだ」というものは、ほとんどなかったですね。

(*10代を過ごした秋田の自然風景。)
――学生時代には、将来のキャリアについてどのように考えていたのでしょうか。
私は、いわゆるキャリアにはほとんど興味がありませんでした。良い学校に入って、良い会社に入ることに価値があるとは、全く思っていなかったんです。やれば何とかなるだろうという、楽観的な性格もあったのだと思います。小学生の頃は、宇宙飛行士やゲームクリエイターになりたいと思っていました。一貫性はなくて、ただ「楽しそうだな」と感じたものに興味を持っていました。高校を選ぶときも、明確な目標があったわけではありません。秋田に住んでいて、学力的に選べる高校はいくつかありましたが、友人がいて、自宅から近い学校を選びました。
今振り返ると、不確かな将来よりも、その瞬間の人間関係や目の前の時間を大切にしたのだと思います。
大学も同じです。「この大学に入らなければならない」という意思はなく、現時点で入れるところへ行こうという感覚でした。最終的に、茨城大学の工学部へ進み、情報系の勉強をしました。そこで初めて、ITを本格的に学びました。
――大学卒業後は、どのような仕事に就かれたのでしょうか。
大学卒業後は秋田に戻り、ソフトウェア会社へ就職しました。医療系のシステム開発を行う会社で、電子カルテやインフラ、サーバー設定など、幅広い仕事を経験しました。そこで五年ほど働いた後、会社を辞めて、家具職人になりました。
――ITエンジニアから家具職人というのは、大きな転換ですね。
実家が家具工房を営んでいたこともありましたが、パソコンの中だけではなく、実際に手で触れられるものをつくりたいと思ったんです。家具づくりを2年ほど続けると、技術的には大体のものをつくれるようになりました。ただ、その先で事業を伸ばそうと考えたとき、デザインの知識がないことに気づきました。デザインを理解できなければ、自分がつくったものを評価できない。商品の魅力を人に伝えることも、その中に哲学を込めることもできません。
「それなら、デザインを学ぶ必要がある」と考えました。
そこで家具職人を一度休み、家族と一緒に秋田から埼玉へ引っ越しました。昼間は再びエンジニアとして働き、仕事が終わった後、東京にある夜間のデザイン学校へ2年間通いました。当時は、既に結婚して子どもも1人既にいました。
――ご家族から反対されることはなかったのでしょうか。
反対はされませんでした。そこも、私は恵まれていたと思います。事業を続けていくためには、デザインの知識が必要でした。今のやり方の延長線上では、将来必要になる収入や価値を生み出せない。自分自身を強化し、提供できる価値を高める必要があると話したところ、家族も納得してくれました。
――その後、大学にも入り直されたと伺いました。
デザイン学校を卒業した後は、すぐには家具職人に戻りませんでした。今度は、事業を経営するためには、経営学や経済学、財務の知識も必要だと思ったんです。そこで、30歳前後の頃に大学の3年次へ編入し、仕事を続けながら2度目の大学生活を送りました。
当時は、私がデザインや経営を、弟が家具製作の技術を担い、2人で家具事業を進めることを考えていました。ところが、大学在学中に弟が亡くなってしまい、家具職人への復帰計画は宙に浮いてしまいました。一人で事業を続けることも考えましたが、最終的には、ひとまずIT業界へ進むことを選びました。
ただ、家具づくりを諦めたわけではありません。現在もITの仕事を続ける傍ら、木工ブランドの立ち上げに向けて、少しずつ準備を進めています。

(*濵田さん、弟、ご子息、3人での1枚。)
――なるほど。濵田さんは、様々な人生の経験を乗り越えながら、ご自身に必要なスキルを積み上げながら、キャリアを進まれてきたように感じます。必要な知識やスキルを身につける際には、どのような姿勢を大切にされているのでしょうか。
私の場合、「これが必要だ」と分かった瞬間に、迷わず全力で身につけにいきます。子どもがいる状態で秋田から埼玉へ移り、東京の学校へ通うことは、一般的には簡単な決断ではないと思います。
それでも、自分にとって必要なことだと判断していたので、あまり躊躇はありませんでした。
2度目の大学進学も同じです。もちろん、独学という選択肢もありました。ただ、私の性格では、おそらく続かなかったと思います。それなら学校へ入り、継続して学ばざるを得ない環境をつくった方がいいと考えました。また、一歩踏み出すことで得られるのは、知識やスキルだけではありません。新しい環境に身を置けば、必ず新しい出会いがあります。当時学校で出会った友人とは、今でもつながっています。
――IT、家具、デザイン、経営と、一見すると異なる分野を経験されています。ご自身の中では、どのようにつながっているのでしょうか。
今振り返ると、全てに一本の筋が通っていると思います。
私の気質は、おそらくクリエイターなんです。
最初は、ITでシステムをつくるクリエイターでした。次に、木を使って家具をつくり、デザインを学びました。そして、経営も一種のクリエイティブな行為だと思っています。周りから見れば、「そのままITエンジニアを続けていれば、もっと順調にキャリアアップできたのではないか」と思われるかもしれません。ただ、私が見ていた道は、そちらにはつながっていなかった。もっと概念的な意味で、何かをつくることに向かっていたのだと思います。

(*家具はこれらの部品を組み合わせてクリエイティブされている。)
――起業を考えたきっかけについてもお聞きしたいです。
仕事をしながら大学へ通っているうちに、エンジニアやデザイナーなど、さまざまな仲間が増えていきました。仲の良いお客様も増え、会社員という立場では、相手の希望に十分応えることが難しいと感じるようになりました。
それなら、自分で会社をつくり、自分たちが考えた仕組みで仕事をしようと思いました。
まず1年ほど個人事業主として働き、その時に集まった仲間と、最初の会社を立ち上げました。取締役3人で始め、最終的には13人ほどの組織になりました。
――会社は順調に成長していったのでしょうか。
人数は増えていきましたが、共同経営では、根本的な価値基準の違いが表面化します。私たちは、3人から「2対1」に分かれました。私は、多少利益が少なくても、これまで信頼してくれた人や、困っている人のために仕事をしたいと考えていました。一方で、人とのつながりより、利益の出る仕事を優先すべきだという考えもありました。
どちらかが、完全に間違っているわけではありません。
会社にとって、お金を稼ぐことは非常に大切です。それは自分が食べられるかどうかではなく、社員が生活できるかどうかに関わるからです。どれほどお世話になった相手でも、適切な報酬を払えない仕事なら、引き受けるべきではない場合もあります。ただ、利益だけに過剰にこだわると、人とのつながりが切れ、最後には孤立してしまいます。仕事は、人とのつながりの中で成り立っているものだからです。顧客との関係、収益性、事業の成長など、何を優先して経営判断を行うかについて、取締役間で考え方の違いが明確になりました。どちらが正しいというより、会社として同じ方向へ進み続けることが難しくなったため、会社を分ける判断をしました。軌道に乗り、10以上に増えた会社を分けることは、1つの困難だったと思います。ただ、価値観が違うのであれば、百人になってからでは遅い。早い段階で分かれた方が良かったと、今は思っています。
――その後、Footbankとはどのようにつながったのでしょうか。
最初の会社を分けた後、私たちは、既に存在していたFootbankへIT部門として合流しました。Footbankの社長が、二度目に通った大学の同級生だったんです。飲みに行く機会があり、「サッカーとITを組み合わせて、何かできないだろうか」と話したことがきっかけでした。Footbankには、サッカー選手のエージェントやセカンドキャリアを支援するスポーツ部門と、IT部門がありました。全体では、30人ほどの組織になりました。ただ、サッカーに関する事業には社会的な意義がある一方で、収益化が難しいという問題がありました。最終的に採算の取れていたIT部門を切り離して独立させる決断をし、現在のFootbank Systemsが生まれました。 最初の会社から長く一緒に働いているメンバーが、現在も在籍しています。
ある意味、旅団のような組織なのだと思います。

(*社内でのミーティング風景。)
――これまで歩まれてきたキャリアや価値観は、現在のFootbank Systemsにどのように反映されていますか。
会社には、「誰もが夢を持てる世の中に」「貢献することを楽しもう」「良き人であろう」といった理念があります。これは、私が一人で決めたものではありません。これまで一緒に歩んできた仲間と話し合って決めました。
今の会社は、もはや仲間が集まるための枠組みに近い存在です。
共通する価値観を持つ仲間が、それぞれの専門性を発揮するための基盤だと考えています。 そのため、社内では敢えて明確な数値目標を立てていません。数値目標を達成するために仕事をしているわけではないからです。もちろん、売上や利益などの数字は、会社を継続し社員の生活やお客様への責任を守るために必要です。ただ、数字そのものが目的ではありません。会社は、資本主義の中では、利益を上げることで力と価値を持ちます。ただ、私は利益を最上位の価値に置く必要はないと思っています。人生の中で、仕事をする時間は非常に長いです。だからこそ、過ごしやすい場所をつくり、自分たちが納得できる働き方をする。その結果としてお金も稼げるのであれば、とても良いことだと思っています。
――Footbank Systemsでは、どのような方と一緒に働きたいと考えていますか。
私たちの会社では、周囲の人が何を考えているのかを理解しながら働く必要があります。そのため、ある程度のコミュニケーション力は必要です。
ただ、特別なスキルや実績、燃えるようなやる気が必須だとは考えていません。
現時点で完成されたスキルや華やかな実績があることよりも、周囲の人を理解し、誠実に仕事へ向き合い、必要なことを継続して学べる姿勢を重視しています。会社と本人の価値観が合い、その中で自分の役割を考えていける人と働きたいと思っています。会社や仲間にフィットし、「ここで過ごしたい」と思えることが大切です。その上で、自分の役割やポジションは、自分で考えて決めていけばいいと思っています。面接でよく聞かれるような、明確な目標やKPIも、それほど重視していません。夢が明確でないからこそ、そこから面白い議論ができることもあります。何かを決めつけず、柔軟に、優しく考えられる人が合うのだと思います。
――個人の生き方を尊重するという点では、一般的な会社組織とは反対の考え方にも感じます。なぜ、このような組織をつくられたのでしょうか。
どこかの会社をモデルにしたわけではありません。自分自身が、「こういう組織だったらいいよね」と思う形を試しているだけです。
私は、個人の自由を大切にしています。
例えば、右の道を進めば目的地に着き、左の道は崖につながっているとします。それでも本人が、「崖だと分かっているけれど、そちらへ行ってみたい」と言うなら、崖の手前まで行ってみてもいいと思うんです。多くの組織では、分かれ道の段階で、「危険だから絶対に右へ行きなさい」と指示するでしょう。しかし私は、崖のぎりぎりまで行ってみる自由を尊重したい。場合によっては、少し飛んでみてもいいと思っています。ただし、崖が崩れるかもしれない。誰かと一緒に行けば、その人を巻き込むかもしれない。飛び降りれば、怪我をしたり、命を落としたりするかもしれない。 そこまで考え、結果に対して責任を持つ。その上での自由は、尊重されるべきだと思っています。 本人が挑戦したいのであれば、最初から止めるのではなく、失敗しても回復できる範囲や、周囲への影響を一緒に確認した上で、できる限り挑戦を尊重したいと考えています。自由には責任が伴いますが、責任を理解した上での自由は守りたいと思っています。
――現在、Footbank Systemsは、社会人サッカーチームFC.BANDELIEを支援されています。その理由や、支援する中で感じることについて教えてください。
会社として、応援するチームがあることで、社員に一体感が生まれると考えています。FC.BANDELIEは、遠い存在のプロサッカーチームではありません。知人を通じてつながった身近なチームで、仕事をしながらスポーツに打ち込み、一つの目標に向かって汗を流している人たちです。Footbank Systemsは、一人ひとりの趣味や価値観が異なる、かなり自由な会社です。だからこそ、同じチームを応援し、感情を共有できることには意味があります。
会社名には、今も「Footbank」という言葉が残っています。
サッカーから始まった会社が、もう一度サッカーとつながるという意味でも、FC.BANDELIEとの関係を大切にしています。チームが行っているサッカー教室や社会貢献活動も応援したいと思っています。私自身も学生時代にサッカーをしていましたが、今振り返ると、もっと真剣に取り組めばよかったという思いがあります。自分ではもう選手のように走れませんが、仕事と競技を両立しながら懸命に走る姿を見ると、自然と心が熱くなります。

(*FC.BANDELIEパートナー交流会の様子。)
――最後に、Camfficeは学生や若者が運営するメディアです。これからキャリアを歩む若者に、メッセージをいただけますでしょうか。
現在は、以前よりも世の中の変化が劇的に速くなっていると思います。技術革新や世界情勢、社会情勢の変化によって、今の延長線上で20年、30年先を予測することが難しくなっています。この会社に入り、このキャリアを積めば、将来はこうなるという道筋も、以前より見極めづらくなりました。
一方で、今は歴史的な転換点でもあります。
私はIT業界にいるため特にそう感じますが、AIによる変化は、産業革命に匹敵するような情報革命だと思っています。その大きな転換点に立ち会えることは、とても面白いことです。だからこそ、最初から何か一つに「絶対にこれで行く」と決めるよりも、少し広い視野を持ち、社会の変化に合わせながら、自分の知識やスキルを伸ばしていく。そのような生き方も、今の時代には合っているのではないでしょうか。将来のビジョンが明確に見えていなくても、必要以上に心配することはありません。私自身も、明確な目標から逆算してキャリアを歩んできたわけではありません。その時々で必要だと思ったことに、本気で取り組んできただけです。一見すると、遠回りや失敗に見える経験でも、本気で取り組めば、知識やスキルとして自分の中に残ります。後になって、それまで関係がないと思っていた経験同士がつながり、新しい価値を生み出すこともあります。若いうちは、失敗しても立て直すことができます。興味を持ったことがあれば、自分で限界を決めず、まずは一歩踏み出してみてください。変化を恐れるのではなく、その変化を楽しみながら、今できることに本気で取り組んでいく。それが、これからの時代を生きるうえで大切なのではないかと思います。

ーー取材を終えて(インタビュワーより)
今回の取材を通じて感じたのは、濵田氏のキャリアは、決して1つの明確なゴールから逆算してつくられたものではないということだ。ITエンジニアから家具職人へ転身し、必要性を感じればデザインを学び、さらに経営や経済の知識を得るために大学へ入り直す。一見すると異なる分野を歩んできたように見えるが、その根底には、目の前の状況に向き合い、必要なものを見極めたら迷わず行動する姿勢が一貫していた。将来の正解を見通すことが難しい現代において、最初から完璧なキャリアプランを持つ必要はないのかもしれない。その時々で必要だと感じたことに本気で取り組めば、たとえ遠回りに見える経験であっても、いつか別の経験とつながり、新しい価値へと変わっていく。
濵田氏の歩みは、キャリアとは決められた道を正しく進むことではなく、変化を受け入れながら、自分なりの判断軸を持って一歩ずつ、つくっていくものだと教えてくれた。
これから自分のキャリアを歩み始める若者にとって、濵田氏の生き方は、未来が明確に見えないことを恐れず、まず目の前の一歩を踏み出すための、1つの指針になるのではないだろうか。
本記事も最後までご覧頂き、ありがとうございました!
これからもCamfficeは、社会人サッカーにまつわるコンテンツを取材していきます。
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