高2で経験した日本一という栄光-立場や環境が変わっても変わらなかった想い|EDO ALL UNITED 茂木秀人イファイン|EDO ALL UNITED特集③|東京都社会人サッカー

EDO ALL UNITED特集第2弾となる今回は、学生ながらEDO ALL UNITEDに所属し、高校時代に選手権で日本一となった経験もある、茂木秀人イファイン選手にお話を伺いました!
日本一という栄光を知っているからこそ感じた苦しさ、なかなか思うようにいかないもどかしさの中で彼はどのように前に進んできたのか。
立場や環境が変わっても、常に彼の心の根底にあった不変の想いとは…

プロフィール

茂木秀人イファイン 2003年4月14日生まれ 

経歴

ブルーファイターズ→FC東京U15深川→山梨学院→桐蔭横浜大学→EDO ALL UNITED

中学→高校への進路選択の背景(山梨学院へ進むときの心情)

 中学3年間の目標としては、ユースに上がることが1番の目標でした。しかし、ユースに昇格することは出来ず、高体連でプレーすることを決意しました。ユースに上がることが出来なかった悔しさもある中で、高体連でプレーすると決まった時から徐々に高校サッカーに対する魅力も大きく感じるようになっていきました。やはり、選手権も含め高校サッカーというのは凄く魅力あるところだし、そこでこれまで以上に努力して、必ずプロになるんだという決意が強くなりました。

高校時代3年間を振り返って

 3年間非常に怪我が多く、1年生の時はほとんどプレーが出来ていませんでした。2年、3年次はプレーできていましたが、非常に苦しいことや辛いことが多い中で、一緒に頑張っている仲間の存在は大きかったように感じます。自分が怪我などで苦しんでいる時も仲間たちが本当によく支えてくれましたし、寮生活だったこともあり、仲間との繋がりは非常に強くなったと感じています。中学時代の深川(FC東京U15深川)から山梨学院に進んで、もちろんサッカーにおける刺激も多くありましたが、それよりも、仲間の大切さであったり、周囲の人たちへの感謝など、人間的な部分での成長の方が大きかったかなという風に感じています。

全国制覇を経験してからの1年間を振り返って

 やはり高校2年生の時に全国制覇をしてからは、周囲からの注目も大きく、例え練習試合であっても、負ければ「日本一のチームに勝ったぞ」という風に言われるのは物凄く悔しかったです。そんな中で、自分たちの代は思うような結果を残すことが出来ず、周囲からの注目やプレッシャーがある中で、思うようにチームとしてまとまることが出来なかったという点では、苦しさを感じていました。逆に個人としては、「進路選択」という観点から見れば、人生を変える出来事であったことは間違いないかなと思います。高校2年次に全国制覇をして、試合にも絡んでいたとなると、関東1部や関東2部などといった強豪大学のスカウトの方が見に来てくれたり、練習会に参加させて頂いたりする機会が多くなりました。そういった観点から見ても、選手権の影響力の大きさや、そこで結果を出すことの重要性はつくづくと感じました。

山梨学院から桐蔭横浜大学に進学した背景

 桐蔭横浜大学からのオファーは、高校2年次の3月頃に届きました。しかし当時は、高卒でプロになるのが1番の望みでした。プロを目指して高校サッカーに取り組んでいたこともあって、まだ正直、大学サッカーに対してそこまで魅力を感じることが出来ていませんでした。そういった背景もあり、すぐにはオファーを受け入れることは出来なかったのですが、それでも桐蔭横浜大学は自分の回答を待っていてくれました。高3の頃の選手権の県予選が終わる頃まで、プロからのオファーを貰うことを目指していましたが、結局高卒でプロに行くことは出来ず、桐蔭横浜大学でチャレンジする決断をしました。桐蔭横浜大学はプロ選手を多く輩出していますし、自分のポジションであるFWにも優れた選手がたくさんいます。自分もそんな環境の中でプロを目指したいと思ったのが、桐蔭横浜大学への入学を決意した理由です。

実際に桐蔭横浜大学に行ってみて

 実際に入学して見ると、なかなか自分が思い描いていたような日々を送ることは出来ませんでした。高校までは、ずっと試合に出続けることが出来ていましたが、なかなか試合に出ることが出来ない日々が続きました。怪我人が出た際にスタメンで使ってもらうことがあり、そこである程度得点に絡む活躍もして、自分の中ではアピールが出来たつもりでしたが、怪我人が復帰するとまたすぐにスタメンから外れてしまうこともあり、いくら努力してもここでは意味がないのではないかと感じるようになってしまいました。

EDO ALL UNITEDが選択肢に上がってきたきっかけは?

 桐蔭横浜大学で苦しい思いをしている時に、大学の監督から紹介されたのがきっかけです。EDO ALL UNITEDの和田監督と、桐蔭横浜大学の監督との間に交流があり、セレクションを受けてみないかというお話をいただき、セレクションに参加して入団に至ったというのが経緯です。EDO ALL UNITEDが今シーズンからプロ化するなどといった様々な条件を聞き、自分自身がプロを目指していることとも照らし合わせて、挑戦してみようという考えになりました。

EDO ALL UNITEDに入団してからの日々で意識していることは?

 まず、個人としては今年1年このチームで戦って、もっと上のチームに行きたいという想いがあるので、個人のレベルアップというところは常に頭の中に置いて日々のトレーニングに励んでいます。また、チームを関東リーグに昇格させるという目標もあるので、そこに向けて日々取り組んでいます。

桐蔭横浜大学からEDO ALL UNITEDへの移籍で良かったと感じるところは?

 大学サッカーの関東1部から社会人サッカーの都1部ということで、サッカーのレベル感でいえば、特にスピード感というところでは大きな差があると感じています。しかし、大学でプレーしている時よりも、自分が頑張った分だけ評価されて、試合にも出させてもらえているという印象が強くあります。より正当に評価を受けられるというところから、自分のメンタル的な部分で、自分が良い時には良いし、悪い時には悪いという気持ちの持っていきかたがしやすくなったと感じています。例え悪い時であっても、次に向けてまた頑張ろうという気持ちになれる、そういった部分はポジティブに捉えています。

今後の展望

 まず、自分がサッカーを続けていく上で根底にあるのは、必ずプロになるという強い想いです。今後3,4年以内にはJの舞台に立ちたいという目標も自分の中では掲げています。その為に、練習、試合に関わらず、いつ誰が見ているか分からないという想いで日々取り組んでいます。上のチームのスカウトの方が試合を見に来てくれていることも度々ありますし、そういったところでしっかりと自分をアピールできないと上には行けないと思っています。1日1日を本当に大切にしながら、自分の夢、目標に近づいていけるよう取り組んでいきたいと思っています。

筆者が感じた、あらゆる選択の中に常にあった変わらぬ想い

 小学生の頃に、プロになりたいと感じてからの様々な選択、特に小学校から中学校、中学から高校、高校から大学などといった人生の節目に当たる場面での選択に関する質問をした時には共通して、「プロ」という言葉が出てきた。自分がプロになる為に最も良い選択は何なのか、その環境下で自分がやらなければいけないことは何か。私の質問に対する彼の回答の根底には、「必ずプロになる」という変わらない想いがあると感じた。
 Jの下部組織からの昇格や、高卒でプロになるといった王道といわれる道ではなくても、それでもプロになることを諦めない彼の言葉には、強い覚悟を感じた。
 サッカー人生を歩んでいく中で、立場や環境が変わっても、決してプロになることだけは諦めなかった彼を心から応援したい。
 そして、彼が夢を叶えることで、人生における節目における選択で悩む子供たちや、彼と同じようにプロを目指す子供たちの今後の道標となることを期待したい。