学生が運営する社会人サッカーメディアCamffice。
今回は虎ノ門ヒルズオフィスにて、SpaceData Inc.で執行役員(宇宙利用、海外戦略担当)を務められる、高田敦氏に取材を行った。
現在、高田氏は「宇宙の民主化」、私達の日々の生活に宇宙が溶け込む未来を目指し、宇宙開発ベンチャー企業の経営ポジションで日々奮闘されている。
今回の取材では、そんな高田氏の枠や限界を決めず、可能性に対して徹底的にトライし続けてきたキャリアに対して迫った。
想像力と情熱で切り開かれてきた高田氏の人生に注目だ。

プロフィール
高田敦
35歳(取材時)
SpaceData Inc. 執行役員(宇宙利用、海外戦略担当)
社会人サッカー歴 2年
―本日は、宜しくお願いいたします。
宜しくお願いいたします。
―現在、働かれているSpaceDataにおいて組織を牽引していくという立場で、日々奮闘されていると思うのですが、本日は、そんな高田様の人生についてのお話をお聞きしたいです。時代を遡りながら現在に至る過程のお話を伺いたく、まずは学生時代からお聞きしても宜しいでしょうか。
分かりました。そうですね。他者の目線で生きていたというか、あまり自分自身の意思がないだったと子どもだったと思います。小さい時の記憶にあるのは、周りの期待に応えようとしているような人間でしたね。実際にどうだったかは置いておき、両親に褒められたい・自慢の子供であるべきというステレオタイプから、学校では成績も高く、優等生であるべきだと思っていました。ただ今考えてみれば、その頃は、
「こうあるべき」「こうでないといけない」という枠を決めて生きていた様な気がします。
サッカーは、高校卒業まで続けていたのですが、高校の進路の決め方も、私が小学校上級生の時に母校の都立国分寺高校が選手権の東京都予選決勝まで進み、進学校であった事から親に進められた事が理由でした。高校三年生の10月頃まで毎日部活に励んでいましたが、大学選択も、浪人をして親に迷惑をかけたくなかったので、第一志望は落ちてしまったものの、最終的に合格を頂けた明治大学法学部に進みました。高校まで続けたサッカーも、「選手権に出ること」を目標に取り組んでいたので、その範囲の中で向き合っていたな、と今思うと感じます。「大学ではサッカーを続けない」と自分で決めて高校時代は取り組んできましたが、実際に高校卒業後は、何においても本気になれていない時期がありました。
サッカーをやりきっていないといことで、どこかに後悔があり、自分に対して追求できていなかったように振り返ると、感じます。
―意外性を持ちました。現在の姿勢とは、相反していると感じます。枠を作ってきた少年期の段階から現在のお姿までの分岐点のようなものはございますか?
大学生の頃ではないでしょうか。高校卒業のタイミングで、サッカーはきっぱりと辞め、何か新しい事にチャレンジようと思い、大学には入学しました。ただ、大学に入って感じたのは、サッカーなしで周りとのコミュニケーションの取り方が分からない自分でした。大学の教室に入った瞬間に、何でここにいるんだろうというような感覚でした。周りが新歓活動や新しい環境に適応していく中で、どうしてもそこに馴染めていけない自分がいました。そこからどんどん負のスパイラルに陥ってしまって、学校に一年ほど行けない時期がありました。
その期間は本を沢山読み、「死」や「生」についてなど、哲学的な事も含めて色々と考えていました。
両親には相談できず、学校には行っていなかったので、成績の通知書が届いたとき、かなり怒られたのを覚えています。(笑)紆余曲折があったのですが、両親との会話の中で大学中退の話をした時に泣かせてしまって。その時、初めて「ああ、このままではダメだな。大学は両親への恩返しとして卒業しよう」と思い、通うようになりました。一年間学校に行かなかった期間に、本当に色々なことに悩み考えたお陰で、ある意味達観して、周りからどう見られても関係ないし、
ありのままを生きていこうと能動的な人間になれたと思います。
そこからは、結果的に一年間留年はして両親に迷惑をかけてしまう訳ですが、それでも大学に行って勉強をして、短期の留学や、アルバイトで貯めたお金でバックパックひとつで海外を旅するなどして多くの海外経験を積み、色々な人に出会い、話を聞くことで、自分を形成することが出来たと思います。
―なるほど。そうした学生時代を過ごされて現在の根幹となる考え方を形成されたのですね。学生時代の就職活動についてもお聞きしても宜しいでしょうか。
自分が形成されて、これから自分がどんな風に生きていきたいのかと考えたときに、私は人と関わる事が好きでしたし、いわゆる国家資格のような手に職がない人間でしたが、
海外経験の中で、「日本人であることに誇りを持てた」
ので、海外と日本の架け橋になって、人の役に立てるような事をしたいという軸で就活を進めました。結果的に、ご縁を頂けた専門商社に進むことになりました。その専門商社が、今ものめり込んでいる宇宙産業に関わるきっかけにもなりました。

―宇宙との出会いは一社目だったんですね。そんな中で迎えた新社会人、そして一社目での体験はどのようなものだったのでしょうか。
一社目では、営業職で、人工衛星やロケットを作っている会社がお客様でした。日本でトップの宇宙産業のエンジニアの皆様が求める製品を、技術仕様策定から関与し、海外から輸入し、納品する業務を担当していました。宇宙の製品は、納期が長く、いわゆる大量生産ではなく、ハンドメイドのものが多いのですが、その分不具合も多いです。想像するのも容易いですが、宇宙空間で起きた不具合は地上に回収して修理することは不可能です。特に国のプロジェクトですし、信頼性が高く、高品質であることがマストでした。そのため、取り扱う製品の製造中の不具合対応などの過程で、製造プロセスや技術を学ばせていただきました。最初は、半導体のような部品から取り扱ってきたのですが、その後、担当する製品の幅も増えて、いわゆるコンポーネントと呼ばれる機器や更にはサブシステムの単位まで関与させていただく機会に恵まれました。そのため、営業としては珍しく、宇宙機の製造工程やサプライチェーンについて、かなり広く理解できるようになりました。システム全体を見ながら考えることもできるようになりました。システムズエンジニアリングというのですが、その観点は本当にお客様に鍛えていただき、感謝しています。お客様の工場の側に引っ越し、毎日お客様のところへ通い、ご叱咤受けながら、なんとか期待に応えるように海外メーカーと調整する日々でした。
諦めず毎日継続をしていく中で、少しずつ成長していけました。
不具合は褒められることではなく、ご迷惑をおかけすることも多かったですが、お客様と一緒に不具合を解決するプロセスや、納期を少しでも前倒しする中でお客様から感謝いただけることが楽しくて、仕事にはとてもやりがいを感じていました。
一社目の経験は、特にビジネスマンとしての基礎を固めた時期でした。
仕事に夢中になる中で、自分のできる事をもっと増やしてみたいとも感じるようにもなっていきました。具体的には、事業投資や新規事業の立ち上げなどです。転職を決めた先の会社では、そういった事にトライしていける環境でした。
―逆境に直面しながら、ご自身の社会人としての基礎が築かれた期間であったんですね。そうした中で、二社目である前職の経験はどのようなものだったのでしょうか。
二社目ではこれまで、やってきたことをベースで取り組みをしながら、防衛産業にも関わらせていただきました。また、新しい事業を作っていきたいという事で、これまでにないラインナップの商品やサプライヤーの発掘をし、事業投資を実施する機会もいただきました。事業投資については、宇宙機器を日本向けに販売し、新規プロジェクトを一緒に取り組んでいた
米国で気鋭の宇宙系ベンチャー企業であるSierra Spaceという会社に出資させていただく機会を得ました。
日本のパートナー企業様と共に共同出資する形で、1年近くかけてパートナー企業や社内の皆様など本当に様々な方の叡智を集約して投資を実行しました。今でも当時の方々は様々な領域でご活躍されており、日々刺激をもらっています。また、新規事業に取り組む中で、どうしたら組織がよりたくましく挑戦できる環境を構築し、
その組織に所属する人がプロアクティブに動けるのだろうという事に興味を持ちました。
ちょうどその頃、官民幅広く様々な業界で活躍されている社会人が参加されている多摩美術大学のクリエイターズリーダーシッププログラムに出会い、2023年に参加しました。そこではデザイン経営という考え方・アプローチを学び、新規事業の企画・プロトタイピングを仲間と共に行いました。この考え方・アプローチは、まさに当時の会社でも必要とされているものではと感じ、日々の業務である宇宙防衛の取組は継続しながら、経営企画の方々とプロジェクトチームを立ち上げさせていただいたこともとても良い経験です。残念ながら、私は道半ばで退職することになり、そのプロジェクトは最後まで関わることができなかったのですが、今でも仲間とは連絡をとっております。

―大きく飛躍された二社目での体験だったんですね。そこから、今働かれているSpase Dataにはどのように辿り着かれたのでしょうか。
はい、二社目での経験は、ビジネスマンとして飛躍できた期間でしたし、何よりも新しいことに夢中で取り組める仲間に出会え・実行してきた時期で、関わらせていただいた全ステークホルダーの皆様にはとても感謝しています。尊敬できる先輩、後輩、パートナーの皆様に囲まれてとても充実した日々を送らせていただきましたが、
ふと「このままでいいのか」という思いが巡るようになりました。
特に、学生時代のサッカーへの取り組みでその後「自分の後悔」に気づいたように、自分のキャリアで同じような「後悔」はしたくない、と思いました。充実していた一方で、「本当にこのままでいいのか。もっとできることがあるのではないか、日本の宇宙産業に貢献できることがあるのではないか」とある意味「危機感」も感じていたのだと思います。宇宙産業に関わり、商社という立場で事業開発や新規事業にも取り組んできた一方で、世の中の変化の速度、日本の宇宙産業への貢献について、自分自身ができることは何かと考えていたタイミングで、SpaceData代表取締役社長の佐藤とお話できる機会がありました。佐藤とは、元々JAXAにいて戦友のように一緒に仕事をしていた坂本(現SpaceData)から紹介されて出会いました。佐藤は、メタップスというIT企業を創業し、上場も経験している敏腕の経営者です。何度かお会いし、食事をする中で、
彼が語る日本の宇宙産業の捉え方や課題感は私が突破できていないことで痛いところを突かれた記憶があります。
また、彼がSpaceDataで取り組んでいきたいと語るそのビジョンが、日本の宇宙産業では誰も取り組んでいなかったことで、とてもワクワクしたのを覚えています。私が培ってきた宇宙産業での経験は、佐藤のビジョンの実現に微力ながら貢献できると思い、また、彼と共に歩むことでスタートアップからさらに日本の宇宙産業を押し上げることができるのではないか、という結論に至りました。佐藤や坂本から一緒にやらないかと誘っていただき、自分の強みである武器をもっともっとのばしていきながら、枠を決めず大きく成長していこうと2024年9月にSpaceDataへの参画を決意しました。
―挑戦の為の意志決定だったのですね。そして現在辿り着かれたSpaceDataでの活動についてや、ご自身の現在地、そして将来のビジョンについてもお聞きしたいです。
当時想像していた以上にダイナミックかつ幅広く活動できる環境を提供いただき、とても感謝しています。もちろん、その「幅」も自分次第であり、結果はシビアで責任もありますが、それも含めて自分に合っていると思います。また、同じ想いを持った仲間や心強い百戦錬磨のアドバイザーの皆様がおり、日々刺激的です。一方、その環境に満足はしてはいけないし、枠を決めずにどんどん更なる新たな領域に、自分のできるコンフォートゾーンから抜け出して、
挑戦をしていかないといけないとも感じています。
今の執行役員という立場を鑑みても、一例ですが、自分がの示す目標や自分の取り組み・行動が、チームや組織の「基準」になってしまいます。これまで以上に、自分自身の行動や発言をより客観視して、高い視点をもちながら、チームと一緒に成長していくことを考えています。そうしたマネジメントの部分のみならず、M&Aのように新しい分野にも挑戦しています。
これは佐藤の受け売りですが、プロレスをしているような感覚です。
本気でぶつかり合って、受けて、最高のエンターテイメントを創っていく、そんな感覚です。

―現在の仕事に対するあらゆる側面を含めた充実感のようなものを感じます。SpaceDataと高田様のこれからについてもお話を伺ってみたいです。
はい。SpaceDataでは「宇宙の民主化」をミッションに、ありとあらゆる産業を宇宙に接続していきたいと考えています。最近では、都市開発部門にもその道のプロが参画してくれました。インターネットを思い浮かべて見てもらえば分かりやすいのですが、昔はなかったものや日々の生活とは距離が遠かったものでも、イノベーションの源泉となり、社会基盤を変革させ、今では当たり前に人間の生活と密着しているというものはあります。
私達はそれを「宇宙」という領域で実現していきたいです。
私個人のビジョンとしては、娘がいるのですが、娘が大人になったとき、旅行で宇宙にいけるような社会を実現していくことが今の目標です。そしてその目標は今働いている会社のビジョンともマッチしていると感じます。
―壮大なビジョンですね。また現在生活の中で、ビジョンを追求しながらも高田様は週末、社会人サッカーにも熱中されています。ご自身の中で、現在社会人サッカーとはどのような役割を果たしているのでしょうか。
社会人サッカーとしての意義は、まずそのコミュニティ自体に価値があると思います。普段仕事に熱中しているとどうしてもコミュニティは限られてきてしまい、視野や出会いも狭くなってしまいます。異なる業界・ビジネス、考え方の人たちと社会人サッカーという環境で全力でプレーするだけでも刺激になっていますし、新しいチャンスにも繋がっていると思います。また、平日の朝も活動しているのですが、仕事にも良い影響を与えています。健康的にもそうですし、朝身体を動かすことで心も頭もリフレッシュして、仕事のパフォーマンスも上がっています。

―最後に、Camfficeは学生がメディアの運営を行っております。私達、キャリアを目の前にした学生に、これからへのメッセージを頂けますと幸いです。
まずは、常に、知的好奇心を持ち続け、俯瞰的に自分の好きなこと、得意なことにどんどん突き進んで挑戦して欲しいなと思います。そして、その過程で自分自身の枠を決めないで欲しいです。枠を決めるとやはりそれ以上は実現できないし、その枠以上のところには到達できないと思うので。
たとえば、「宇宙に行きたいかどうか」はわかりやすいと思います。
人間は、想像していないことを実現する事は難しいです。想像がはじめの一歩です。そして、そこに向けて行動することです。今自分が仕事に対して打ち込めているのは、やはり学生時代、自分で自分の限界を決めて、その枠の中で過ごしてきたし、その中でサッカーをやりきれなかった自分に後悔しているからだと思います。今になってその事は凄く感じますし、だからこそもう同じような後悔はしたくないです。皆さんも、好きなこと、熱中できること、得意なことがあれば、それにとことん、徹底的に取り組んで欲しいです。自分の限界や枠を決めずに、自分のビジョンに対して全力で取り組むことが大切だと思います。
―これからの糧に変えていきたいです。本日は、貴重なお時間の方頂きまして本当にありがとうございました。
いえいえ。こちらこそ楽しい時間をありがとうございました。

取材者から取材を終えてみて。
取材を終えてから、想像力という要素が人の人生やキャリアにどれだけの影響力を与えるのだろうという事を考えた。現実や周囲という枠のようなものはあるし、物理的な問題や、人は社会的な存在であり、枠を考えて生きていく事も勿論大切だ。ただ、高田氏は、その中でも常に想像力を持って、枠を課題と捉え、その枠の先にある何かを強くイメージしながら、今を努力され続けているのではないだろか。だからこそ高田氏は、宇宙を目指し、そうした世界に触れていくことが出来る。また、私は宇宙に行ける未来などと考えた事も無かったが、
この取材を通して、人生の中でいつかは宇宙を旅行してみたいと思うようになった。
自分の人生の可能性を追求する生き方を学ばせて頂けた本取材であった。
今回も最後までご覧頂き、本当にありがとうございました。Camfficeでは、今後も「社会人サッカー」そしてそのコミュニティーに属する「人」に対して取材を行っていきます。次回も是非ご期待ください!!
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