【第11回】「サッカー選手が世界に出て活躍するためのhubになりたいんですよね。」サッカー選手のセカンドキャリアにおける現状。それを支援していく価値とは。|神奈川県社会人サッカー

第11回となる今回は、年代別日本代表の経験をもちながら、現在は、人材紹介業においてのフリーランスとして活躍されている岡 直樹さんに熱く語って頂きました!

・フリーランスとして自由に働くことに興味を持っている方。

・転職や就職活動に悩んでいる方。

・トップを目指しながらサッカーで生きることを諦めてしまったサッカープレイヤー。

そんな方々に是非読んでほしい記事となっています。


プロフィール

名前 岡 直樹
生年月日 1991年4月15日
出身 神奈川県
所属チーム(来歴)
横浜Fマリノスプライマリー追浜 → 横浜Fマリノスジュニアユース追浜 → 横浜Fマリノスユース(U-16,U-17,U-18日本代表) → 法政大学体育会サッカー部 → 品川CC横浜→SUPERIORE F.C


サッカー選手を目指していた私

僕は、プロサッカー選手を目指していました。サッカーは、幼稚園生の頃から始めました。兄の影響でしたね。初めサッカーは嫌いでした。試合中参加せず、石ころを拾っていたりしていましたね。(笑)だんだんとルールが分かってきて楽しくなっていきました。そうした時期にたまたま、その後長い間お世話になる横浜Fマリノスに入ることができて、そのまま高校卒業までいましたね。中高と全国優勝も経験できて、個人的には高校の時、年代別で3年間日本代表にも選んでいただきました。順風満帆でしたね。我ながらかなり上手くいっていたと思います。高校の時、Jクラブから何チームかオファーも頂きました。でも僕はFマリノスでやりたかったんですよね。しかし、マリノスからオファーは頂けませんでした。そうした流れの中で、結局、大学で揉まれてからマリノスに行こうとなりましたね。大学で揉まれて成長したらマリノスはとってくれるのではという信仰心のようなものがありました。信じすぎていたというか固執していました。あとは僕、意外と進路とか自分の人生を決めるときにかなり冷静なんですよ。大学も出ずに高卒二年くらいで首切られたら終わりだなって。それもあって大学にしましたね。大学選びはシンプルでした。水沼貴史さん(歴代横浜Fマリノス監督)にマリノスタウンで会ったんですよ。水沼さんに「来年から法政の監督やるから来い。」って。(笑)偉大な方じゃないですか。それで「はい。行きます。」ってなりましたね。何か一年目から出してくれそうな感じもあったし。それで1年目は案の定試合に出れていたんですけど、2年目のタイミングで水沼さんが辞めてしまって、そこからは本当に苦しみました。自分のサッカーとチームのサッカーが全く違いました。合わせていけば良かったのですが、僕はこだわりが強くて、色々と難しかったです。そこはなんていうか青かったというか、若干後悔している点ではありますね。2年生からはレギュラーという感じではなくて、出たり出なかったりのそんな選手でした。それでも最後までプロを目標にしてひたむきにサッカーに取り組んでましたね。



私がサッカー選手を諦めた理由

大学卒業ギリギリまでプロを目指し続けて、結局、声をかけてくれるクラブもあったんですよ。でもね、やっぱり僕は人生を決める時は本当にいつも冷静なんですよ。あまりにも。もらった契約書の額を見て、自分の価値を知り、こんなものなんだよなと。現実を突き詰められるわけですよ。サッカー選手ってあんまり上に登っていくことってないじゃないですか。少なくとも、自分が登っていくイメージが全く湧かなくなってしまいました。そうなったらそこで終わりで、あれほどまでにも目指したものでしたが、最後は、意外とすんなりと諦めてしまいましたね。



サッカー選手を諦めてからの私

そこからは当然ながら就職活動をしていかなければいけなかったんですけど、やりたいことも思い浮かばないし、なんせギリギリまでサッカーをしていたから、時間もないんですよ。でもね、そこはFマリノスが救ってくれました。ギリギリのまだ枠があるよ的な就職相談会に行ったんですよ。そうしたらたまたまマリノスのスポンサー企業が来ていて。そこでもう行くしかないと思って。「僕マリノスでずっと頑張ってましたよ。」って。(笑)東証1部にも入っているかなり有名な不動産の企業だったのですが、そこからはトントン拍子に話が進んでいき採用までたどり着いてしまいました。入ってからは、右も左も分からなかったのですが、必死に取り組んでいきました。もう本当にがむしゃらに。そうしたら営業一位にもなれましたね。その時、一つの達成感みたいなものがあって。そうすると一旦立ち止まって、自分が本当にやりたいものを探し出すんですよね。


やりたいこと

僕は「サッカー選手のセカンドキャリア支援」、ここに圧倒的な負を感じているんですよ。これをどうにかしたいんですよね。サッカー選手って本当にコミュニティが狭いんですよ。知識も無くて、大体サッカー選手のセカンドキャリアって指導者か飲食店なんですよね。しかも、サッカー選手ってお金持っているじゃないですか。だから何か色々騙されちゃったりして、本当に悔しいし惜しいんですよね。僕はサッカー選手の可能性って計り知れないと思うんですよ。シュートもドリブルも本当に極めないと結果に繋がらないんですよ。さらに、あれだけの競争率の中で死ぬほど考えて努力してそこの競争に勝った人達じゃないですか。サッカー選手って。だからこそどこに行っても、僕はやれると思うんですよね。僕は、そういうサッカーに懸けてきた仲間が全国中に沢山いて。要するに、僕は、そういうサッカー選手が社会に出て活躍できるためのhubになりたいんですよね。それが僕のやりたいことです。


目的のためにした努力

そうなると結局、僕のやりたいことって人材紹介業なんですけど、初めからそこに行ってやりたいことはできないなと思いましたね。あまりにも知らないことが多すぎると感じました。そこで僕は、不動産業をやめて人材紹介業に移行していく際に、IT業界を挟みましたね。そこでフィールドセールスというポジションでマネジメントを行っていました。この時の経験が今に本当に生きています。そこを挟んだ目的が僕の中では二つありました。1つ目は、様々な業界の商流を理解したい。2つ目は、視座の高い人とたくさん話せる。この二つでしたね。そこでは、様々な業界の人に営業かけることができましたし、結局、判子を押すのって経営者なので、経営者を納得させないとダメなんですよ。だからそこのトップレイヤーの人とコミュニケーションがとれるんですよね。正直、めちゃくちゃに学びになりました。ここの商流はこうなのかっていうのとか。誰と名刺交換したとか。日々勉強でしたね。それも全て人材紹介のためでした。社長には、初めから言っていたんですよ。「ステップにします。」と。その分会社にいる間は、コミットすること結果を残すことも求められて。それもまた成長に繋がりましたね。そして、やりたい人材紹介業に移っていきました。そこから独立して現在という流れですかね。


社会人サッカーとは

今、社会人サッカーもやっているんですけど、身体能力系の選手だったので今の方がいろいろなことを考えてやっていて、楽しいんですよね。僕たちのチームってスポンサーの方から給料もいただいているんですよ。だからこそ、その分結果も含めて色々な部分を求めなければいけないじゃないですか。そこには勿論ビジネスマンとしての人間性やそういうものも含まれていて。やりがいも凄くありますね。
結局、当たり前の話ですけど、ビジネス×サッカーじゃないですか。社会人サッカーって。今ってまだまだ仕事メインでサッカーが趣味みたいなイメージになってしまっていると思うんですよね。それがサッカーにもこれだけ熱量を持って競技レベルも求めてやっているんだっていうのが周りに伝わっていくと面白いコンテンツになっていくと感じています。



 私の今現在

今は、フリーランスで、やりたかったサッカー選手のセカンドキャリア支援に熱を入れていますね。具体的に言えば、結構トータル支援に近い形なのですが、今はとにかくサッカー選手が何に困っているのか。そういった部分を徹底的にヒアリングしています。そこで出てきた課題やその人の希望も踏まえつつ、信頼できる人に紹介していく。そういった部分ですかね。あとは、それに加えて、業務委託で人材紹介会社にも入っていて、そこで中途採用の転職エージェントもやっています。これからも一歩一歩進んでいきたいですね。



学生の皆さんに大事にしてほしいこと

皆さんこれからじゃないですか。わくわくしてほしいですよね。やりきったという経験が何より大切であると思います。就活でも何でも何を語れるかなんですよね。結局。語れるようなやりきった何かを皆さんには学生のうちに一つ作れれば、大きな財産になると思います。自分が何をしたいか。何を成し遂げたいのか。っていうのが僕は全てだと思っていて。結局そういうのがなければ人間どこに進んでいけばいいか分からなくなると思うんですよ。そういうをもって少しずつ前に進んでいってほしいと思います。


最後にインタビュアーから

目的に対してどれだけ焦がれるのか。

それが自己実現をするために、大切な一つの要素ではないでしょうか。
自分が達成したい目的に対して、どれだけ焦がれるか。その熱意こそがやるべきことを明確化させるし、それをやり遂げる原動力になっていくはずです。
私たちは、未来ある学生です。夢を抱きましょう。