挑戦してきたこと。挑戦するということ。|岸伯富実|FC.BANDELIE|東京都社会人サッカー

今回のキャンフィス記事では、埼玉県、戸田駅近郊にて岸伯富実氏に対し、取材を行った。

学生時代、プロサッカー選手を目指すも挫折。大学卒業後は、日本ではいわば既定路線でもある新卒社会人としての人生のスタートを選択せず、ヨーロッパ、ドイツへの留学。一年半ほどをドイツの地で過ごし、総合型地域スポーツクラブ経営について学びながらも、現地クラブでプレー。帰国後、0からの就職活動。それとほぼ時を同じくして、東京都社会人サッカーチーム FC.BANDELIEに入団。株式会社リクルートに入社。昨年、結婚。三年半を過ごしたリクルートから株式会社ビズリーチへ転職

今回の記事では、そんな岸氏のキャリアに内在する

体験、学び、当時の心境、考え、その深みや広がり

それらから成る岸氏の現在、見据える未来にまでスポットを当て取材した。

挑戦を続ける岸氏の人生に注目だ。

名前:岸 伯富実 / Takafumi Kishi

生年月日:1994/07/18

経歴

GRANDE FC→浦和レッズユース→順天堂大学→SSV MERTEN 1925e.V.(独6部)→BCV Glesch Paffendorf(独6部)→FC.BANDELIE(東京都社会人サッカー2部)

―この度は取材ご協力頂きましてありがとうございます。本日は宜しくお願いいたします。

宜しくお願いします。

―本日、岸さんには自らのキャリアについて様々な質問に応えていただければと考えております。岸さんのキャリアに触れていくとき、それは挑戦に満ちたものであると感じます。最初にその礎となっているものについてお聞きしてみたいです。

家族の存在が大きかったです。

物心ついた時から、僕の父親は、自営業をしていて、家にいない時間がとても多かったのですが、本当にいつもどこか楽しそうで活力に満ちていました。そんな自分らしく人生を生きている父親を見て、僕は幼い頃から漠然とした憧れのようなものを持っていましたね。同じように自営業者としての道を進みFC.BANDELIEというクラブを作った兄にも強く影響を受けました。

また学生時代、ドイツ時代、社会人時代に出会った多くの方々、その全ての出会いに影響を受け、助けられながら、僕は今日まで前に進み続けてこれました。

―様々な方々との出会いの中で歩まれてきたキャリアだったのですね。そんなキャリアのスタート地点でもある学生時代とは、一体どのようなものであったのでしょうか。

学生時代は、プロサッカー選手を目指していました。

いずれ海外でプレーしてみたいとも夢見ていましたね。

ただ、そんな目標や夢は、僕にとってまだまだ遠くにある存在で、目の前にある目標に向かってただひたむきにやっていました。中学年代で入ることが出来なかった浦和レッズの下部組織努力が報われて高校年代で入れた経験は、夢に大きく近づいた気がして、大きな達成感に満たされたことを覚えています。

ただ、自分が何か他のサッカー選手を目指す学生に比べて、特別な経験や考えを持っていたかと考えてみると、全くそうではなくて。

中学生の頃はキャプテンをしていましたが、自らやりたくてやった訳ではなかったですし、前に立つタイプでもありませんでした。浦和レッズユースから順天堂大学に進みましたが、殆どの時間をBチームで過ごしました。結局、自分の立ち位置を受け止め、幼い頃から思い描いていたプロサッカー選手になるという目標は、大学2年生の夏に断念してしまいました。ただ、それでもサッカーが好きでしたし、その想いで大学最後まで真剣に取り組み続けました。僕の学生時代は、そんなありふれたものであったと思います。しかし、僕にとっては挫折や成功を繰り返しながら本気で取り組み続けた学生時代でした。

―そんな岸さんにとって、人生を大きく変える転機が大卒後でのドイツ留学であると思います。

大学2年の頃、プロサッカー選手という夢を諦めてしまった訳ですが、サッカーは好きで続けていきたいと考えていました。

その頃からよく海外サッカーの様々な情報を集めるようになっていましたね。

4年生になる前にはもう海外でサッカーをやろうと八割くらい決めていました。しかし、僕の周り、世間では一斉にそこから就職活動に入っていく訳ですから、本当にその決断振り切って良いのかと揺らぎ、葛藤の中で一度は就職活動をしてみる事にしました。ただ、そんな状態での就職活動には全く身が入りませんでしたね。自分の人生や、ある意味アウトローな道に進むリスクに悩みながらも、海外でサッカーをしたいという気持ちは強まる一方でした。

結局僕は、

一度きりの人生を後悔したくない。と決心しました。

親に打ち明けた時は、「何となく分かっていたよ」と言われました。周りの反応は、三割くらい応援してくれる人もいましたが、殆どはやめた方が良いと止められました。僕自身にとっても勇気のいる決断でした。ただ、それ以上に自分を突き動かす何かがありました。そこからは、なぜ国がドイツになったのかという事であると思うのですが、入り口ドイツが発祥と言われる、

総合型地域スポーツクラブ経営について学んでみたいというがありました。

地域に根付いたクラブを実際に見て、その仕組み、そこで生まれていく人と人との繋がりについて学んでいく事は、サッカープレーヤーとしての僕だけで無く、その次のセカンドキャリア、日本に帰ってきたときの大きな財産になると考えました。後は、単純にドイツのサッカー、文化、人に興味を持って、飛び込んでいきたいという感覚的なものもそれを後押ししましたね。他にも僕自身、様々な国を調べて悩みました。自分のやりたい事によって、色々な選択肢がありましたね。ドイツに行くためにもすべきことが沢山あって、お金を稼ぐために、サッカー部の練習の前にはアルバイトをしたり、クラブ選択、環境選択、他にも様々な準備をしていきました。不安に押しつぶされそうな気持ちと、やってやろうと燃えている気持ちの狭間で揺れ動きながらも、

自分自身が創っていく人生を始める為にも大切な時間でした。

―勇気ある決断ですね。ドイツでの体験について聞いてみたいです。

本当に価値ある期間でした。

ドイツでは、1年3ヶ月ほど生活しました。語学学校で言語を学びながら、プレーヤーとして独6部リーグ(関東リーグレベル)で、2クラブを経験しました。楽ではありませんでしたが、ドイツの地で実際にその価値を肌で感じながら総合型地域スポーツクラブ経営について触れられましたし、クラブでは5部昇格も経験することが出来ました。また、言葉もそれほど話せなかったので、一人でいる時間も長かったです。

自分の考え方、価値観を構築していく上で大切な時間でした。

元々、自分の決めたこと、やりたい事に対して突っ走っていく性格なのですが、それがより確固たる価値観となって出来上がったという感じですね。自分が挑戦したいものがあれば、そこを達成していく為に行動していくべきですし、そこに我慢は必要なくて。自分自身の人生を大切にしていきつつも、勿論人間一人では生きていけないです。

自分らしく生きていくためにどういった仲間家族大切な人の存在があるかだと思いますね。

それが人それぞれの人生の深みになっていくのではないでしょうか。

―正に自身の人生観を決定づけたドイツ留学ですね。そうして帰国した日本は如何だったでしょうか。就職活動の点も含めて詳しくお聞きしたいです。

ドイツに行って人間的に価値観が固まった感覚はありましたが、実際に日本に帰ってきた時、私はその瞬間からフリーターになる訳です。

率直に、日本という国で自分は何者なんだという感じでした。

そもそも新卒なのか第二新卒なのかとか。そのレベルでしたね。とりあえずまずは、新卒フェアに参加してみました。その中で、2ヶ月程活動を続けていき、1社に絞り、新卒で内定を頂けましたね。ただその企業には結局、内定が決まってから様々なインターンや、社会人の方と話していくという体験の中で、自分の考えとのズレを感じ、入社しませんでした。そうこうしているうちに、新卒で社会人になった同世代に比べ、

僕にはビジネスマンとして3年の遅れが出来ていました。

そんな中で、その遅れを取り戻す為に自分はどうすれば良いのかということを考え、

自分を0からたたき上げて貰えて、スピード感持って飛躍出来る環境を探し求めました

そうした中、もそうでしたし、リクルートで働く人と多く出会える機会があって、リクルートに対し魅力を感じるようになっていきましたね。そして、面接を受け無事に入社したという形ですね。契約形態はCV職という3年半の契約社員でした。正社員と待遇は変わらないのですが、3年半という期間が設けられて、その中でビジネスで通用する人間になりましょうといういわばビジネスマンとしての学校的な役割を果たしているものでもありました。そこから3年半働き、現在働いているビズリーチに転職したという形です。

僕のようなキャリアの作り方は、いわばアウトローなものでもあると思います。

しかしその中で、様々なことを経験し、沢山の人と話していく中で、自身のぶれない軸のようなものも出来上がっていきました。そこは今の僕にとっての大きな武器にも成っています。

―同じ様なキャリアを目指す若者を勇気づける体験ですね。それと同時にサッカークラブFC.BANDELIEにも入団しました。

きっかけは、大学3年生の時に、初めて兄の作ったFC.BANDELIEの試合を見に行った事がきっかけです。当時僕は、社会人サッカーというコンテンツに対し、あまりよくは知らなかったのですが、本気で大学までプロを目指しサッカーに取り組んでいた兄が、社会人サッカーに対しても同じように必死に取り組んでいく姿勢を見て、感銘を受けたというか、熱くなるものがありました。その時はまだ発足当初で試合は大敗だったのですが、

その時から漠然とこのクラブに携わりたいと考えていました。

その後ドイツに渡り、日本に帰ってきてから2ヶ月くらい経ったときに、またBANDELIEの試合を家族で見にいく機会がありました。その時、大学時代試合を見に行き感銘を受けた記憶がフラッシュバックされました。そんな経緯で、僕もやってみようと決断しましたね。

そうして入団し、今までFC.BANDELIEには運営、プレイヤーの両面で携わり続け、現在はチームの代表として責任者をしております。

昨年の集中応援DAY100名以上の観客会場が埋め尽くされたあの光景は忘れられないですね。他にもこのクラブでは忘れられない思い出が沢山あります。

―総合型地域スポーツクラブ経営をドイツの地で学ぶなど、様々な経験を乗り越えてきた岸さんにとってのこのクラブのこれからについてお聞きしたいです。また、岸さん自身のこれからについてもお聞きしてみたいです。

将来FC.BANDELIEが1つの居場所になればと良いと思っています。

私達は普段、社会人サッカー選手として向き合い、本業や家族との時間の合間を縫ってバンデリエに力を注いでいます。そんな中で所属しているメンバーがバンデリエに関わっていることを誇りに幸せに思ってもらえる事が1番大切です。選手であれば選手として、プレイヤーを退いてもファンとしてサポーターとして、1人のファミリエ(家族)として生涯関わりたいと思ってもらえるような組織を目指していきたいですね。

ブランディング外向けにするものですが、内側からそういうクラブを作っていきたくて

その延長線上で、最終的には、サッカーコートやフットサルコートでも、飲食店でもサロンでも、バンデリエのモノじゃなくてもバンデリエが活動している場所を、老若男女関係なく関わった人たちが遊びに行きたいと思えるコミュニティにしていきたいです。

それが、我々が掲げている

『人々の生活に+αの喜びと居場所を』

体現することに繋がるのではないかと思っています。

また個人的にはやはり将来的に自分でお金を稼ぐという事をやってみたいです。

それも今正に悩んでいる所で、独立して自分の力でやっていくのか。本業を持ちながら、小さいキャッシュでやっていくのか。そこはまだ決められていないのですが、今後決定して、またそこに向かって自分がどういった進路をとるのか考えていくという形ですね。目的に向かって挑戦を続けていく人生を全力で楽しんでいきたいです。

―最後にキャンフィスは学生のメディアです。何か学生に対してメッセージをいただきたいです。

僕のキャリアは、大学卒業後、ドイツに留学といういわばアウトローな選択のスタートでした。

ただ、僕にとってそれは自分の人生を作っていくために必要なものでした。

人生はどうにでもなります。全ては自分次第です

自分自身の目標や夢を大切にして人生全力で走り抜けてみるのもありだと思います。

―本日は取材ご協力頂き、本当にありがとうございました。

自分自身を生きていく為に、不器用にも、困難な中でも何かに向かってまっすぐと歩んでいくということ。

その中で、出会っていく体験仲間家族

その全ての人生での経験が自分自身にとってのかけがえのない価値なのではないだろうか。

今回の記事も最後まで読んでいただいた方々、

本当にありがとうございました。

次回記事もご期待下さい。

↓この記事から更に深く学びたい方へ

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