挑戦を続ける人生を歩むために辿り着いた場所がこのチームでした。|EDO ALL UNITED キャプテン 黒柳雅路|EDO ALL UNITED特集④|東京都社会人サッカー

EDO ALL UNITED特集第4回となる今回は、今シーズンEDO ALL UNITEDキャプテンを務められている、黒柳雅路氏にインタビューを行った。スペインでプロキャリアをスタートさせるという異色の経歴をもつ黒柳氏。何故海外でプロキャリアをスタートさせたのか。そして、何故今、日本に帰国し、EDO ALL UNITEDでプレーしているのか。異色な経歴を生んだその大胆な行動力探究心熱い想いに是非とも注目頂きたい。

プロフィール

黒柳雅路/Kuroyanagi Masamichi 

1997年5月6日/神奈川県出身

さぎぬまSC→横浜FC Jrユース→横浜FCユース→明海大学体育会サッカー部

→UBコンケンセ(西4部)→CDディオセサーノ(西4部)→EDO ALL UNITED

―本日は、取材ご協力頂き、ありがとうございます!よろしくお願いします!

よろしくお願いします。

―黒柳さんは、EDO ALL UNITEDに入団される前に、海外でプロキャリアをスタートされるという異色の経歴をお持ちであると思うのですが、何故異国スペインの地でプロサッカー選手のキャリアをスタートされようと思われたのでしょうか?

僕は、横浜FCのアカデミー出身で、その環境で自分を高めトップチームに上がりプロサッカー選手になることを夢見ていました。しかし、その夢は果たせず、トップチームに上がることは出来ませんでした。そうなったときに自然に頭に浮かんだのは、大学サッカー界で活躍してJリーガーを目指すという、多くの選手が通る既成路線ではなく、スペインでプロサッカー選手になり、自身の世界を広げてみたいという他とは違う路線でした。きっかけは、横浜FCユース時代の高校2年時に経験したスペイン遠征です。サッカープレイヤーであれば、誰もが知っているあの有名クラブがあるバルセロナで行われた大会に参加しました。その時に、スペイン人の「サッカーに対する情熱」に衝撃を受けました。人とサッカーの近さが半端ではなかったですね。また、そこで、スペインのサッカー文化を実際に肌で体感しました。体格や身体能力ではなく、戦術や組織で勝つという部分が同じような特徴を持つ、日本人である僕にとって目指すべき場所であるように感じ、いつしかスペインでサッカーをすることに対して憧れを持つようになっていました。また、海外志望の日本人サッカー選手は、ドイツなどを目指すことが多く、逆に今まで活躍している選手が少ないスペインの厳しい環境に対して果敢に挑戦していくことでたくさんの経験値が得られるのではないかと思い、決断しました。

ー決断して、挑戦されたスペインサッカーは黒柳さんにとってどのようなものだったのでしょうか。

僕は、スペイン4部でプレーしていました。どこに行ってもサッカー、サッカー、サッカーという感じで、サッカーという文化がスペインには根付いていましたね。僕の個人的な意見なのですが、選手個人個人でスペイン人と日本人を比べると、日本人の方が技術はあると思いました。ただ、試合で使わない技術がという事です。スペイン人は、実際に試合で使える技術をもっています。サッカーをしっかりと理解しているとも言えますね。状況や時間帯に応じたプレーや、戦術理解度の高さ、セットプレーの戦術の多さは本当に学ぶ事が多かったです。また、情熱の国でもありますし、勝負へのこだわりは半端じゃなかったです。

―何故、日本に帰国され、EDO ALL UNITEDに加入されたのでしょうか?

スペイン2年目でリーグ優勝を果たして帰国し、翌年もそのチーム契約更新出来ることを望んでいたのですが、それは叶いませんでしたもう一年スペインでやりたい気持ちはありましたが、ビザを出してくれるチームが見つからなかったので日本でプレーすることを決めました。そうした理由から帰国することになったのですが、契約の関係上、次のチームに行くまでに、1年間の猶予があり、その間トレーニング出来る環境を探していました。そのときに声をかけてくれたのが同期であるEDO ALL UNITEDの和田監督でした。そこから、何故実際にEDOに加入することになったのかというと、自分自身、次のチーム選びの基準として、何かを課されるような場所を求めていました。その点、EDOは、チームとしても今年からプロ化もされますし、サロンメンバー、EDOファミリーの多くの方々の期待を背負いながら、より大きな責任感を持ってプレーできると思いました。他にも、本田圭祐さんがGMかつ社会人サッカーチームの中で圧倒的に注目度が高いチームなので、活躍することで自分の人生にとって大きなプラスになるのではないかというのも決め手の1つでしたね。

―自分に対してプレッシャーをかけ、真剣に考えたからこそ生まれた選択だったのですね。EDO ALL UNITEDでは今年からキャプテンに就任されたとお聞きしています。

自分が海外にいたとき、常に心がけていたのは、チャレンジを続けることでした。そういった姿勢を失わず、日本でも何かチャレンジしたいと考え、キャプテンをさせて頂くことになりました。

―EDO ALL UNITEDを率いるキャプテンとしての難しさ、やりがいのようなものあれば教えて頂きたいです。

プロ化にあたって、ほとんどの選手が新加入といこのチームを自分がまとめていくのかという点に対して不安しかなかったです。ただ、全ての選手が各々の役割を全うし、組織としての一体感を保つという部分は、組織を強くしていくには必ず必要な部分ではあると思うので、そこは絶対に紡いでいけるようにコミュニケーションをとっています。また、ピッチ内外問わず「背中で見せる」という風な模範になることはキャプテンとして大事にしていますね。団結力のある良いチームに変化してきている思います。

―今シーズンに向けたメッセージがをお願いいたします

私達の悲願である、「EDO ALL UNITEDをビッククラブに」を達成するために、まずは1つずつ勝ちを積みかさねて東京都1部リーグ優勝を果たしたいですね。

―最後に、このCamfficeは私達、学生がつくるメディアです。私達学生に何かアドバイスを頂きたいです。

海外で何か挑戦したいという視点でアドバイスをするならば、まず、自分は全くやってこなかったんですけど英語はやはり勉強したほうがよかったですね。コミュニケーションの幅がやはり全然変わってしまうなと実感したのでそこは後悔してますね。サッカー選手として上を目指しているのであれば、プロの世界に手が届かなくてもそこで折れずに関東リーグや東京都リーグでも成長出来るので下を向かずに、目標のプロを目指せる環境はいっぱいある。そこで自分が何を目指すのかを見失わずに這い上がれるかが大事だと思います。その経験は、必ず、後の人生にも役に立ちますし、私自身の財産にもなっています。共に、上を目指していきましょう

ー貴重なお話お聞かせ頂き、ありがとうございました。

EDO ALL UNITEDのキャプテンマークを背負う黒柳氏の恐れず、チャレンジを続けるというその行動力、熱い気持ち、皆様の心に響くものがあったのではないだろうか。EDO特集最後の記事となる次回は、サロンメンバー、そしてCOOとしてチームを支える、関氏にEDO ALL UNITEDを支える意味、その価値について熱く語って頂いた。ご期待頂きたい。