学生が運営する社会人サッカーメディアCamffice。
今回は、五反田駅近郊にて、株式会社クイック、QUICK GLOBAL MEXICOの新田 空馬氏にお話を伺った。
メキシコを拠点に世界を舞台とし、活躍される新田氏。
本記事ではそんな新田氏に対し、取材を行った。
・何故、新田氏は海外に出てキャリアを歩んでいくことになったのか。
・海外で日本人が働くとは。
・日本で社会人時代に取り組んだ、社会人サッカーについて。その価値。
・新田氏のこれから。
新田氏の大きく広がっていく、その人生に注目だ。
プロフィール
名前 新田 空馬
生年月日 1990年6月6日
経歴 東京学芸大学→株式会社クイック(日本→タイ→日本→メキシコ)
サッカー歴 東京学芸大学サッカー部(東京)→東京蹴球団(東京)→FC.BANDELIE(東京)→茨木SC(大阪)→illmassive(東京)
―本日は、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
ーこれから新田様の人生全体に対して取材を行っていきたいのですが、その前に、大胆なキャリアを実現されてきたご自身のマインドセットについてお話を伺いたいです。これまでの人生を推し進めてきた新田様の心構えとはどのようなものなのでしょうか?
基本的には目の前のことを一生懸命やりながら、常にワクワクするほうを判断していく、そういった「攻め」の姿勢が自分自身の大枠での考え方だと思っています。また、性格で言えば、比較的好奇心が旺盛で、若い頃からチャレンジを通して様々な経験をしていきたい、そうした経験の中で、視野を広げていきたいということも考え方の根底にはあるんだと思います。だからこそ、
人生の中で様々な挑戦を繰り返してきました。
その過程で失敗を経験した事も何度もあります。ただ、過去と他人は変えられないので、終わったことで悩むのではなく、そういった失敗を踏まえて今をどうすべきかを常に考えながら、今日まで歩み続けてきたつもりです。
―ひたすら今日まで、前進されてきたという事ですね。これからは、そんな新田様の人生についてお話をお聞きしていきたいです。まずは、新田様の学生時代からお聞きしたいです。
体育会サッカー部に入っていたので、サッカー中心の学生生活でした。高校までは岩手で、大学からは東京に上京。勉強でもサッカーでも、常に自分のレベルよりも背伸びをした環境に身を置くことで自分の基準が引き上げられて成長できると考えていたので、そういった理由もあり、東京学芸大学を選びました。大学時代では、同期や先輩たちに世代別日本代表候補などが複数人いる環境の中で、プレーヤーとしては気持ち的に挫折をしてしまったことも事実ですし、恥ずかしい話ですが、4年間Aチームには上がれませんでした。ただその中でも、自分自身にできることはあると捉え、Bチームのキャプテンとして、みんなの意見を吸い上げながらチームをまとめていくことだったり、
どうしたら組織が同じ方向を向いてより強くなるのか、
そういった事に重点を置き、熱量を持って取り組んでいました。本来は、選手としてトップチームのピッチに立って勝利に貢献できていることがベストなんだと思いますが、それができるレベルとは言えませんでしたね。ただ、試合に出ていなくても出来ることはたくさんある、そう思えたのはこの大学サッカーの経験が大きかったような気がします。組織には様々な立場の人がいて、それぞれがやるべきこと、できることがあると思います。
―サッカーを生活の中心に置きながら、常に向上心を持って、取り組まれてきた学生時代だったのですね。その頃から、海外へ興味を持っておられたのか気になります。
実家のある岩手県で、母親が自営業でフェアトレードショップといって、発展途上国の経済的に弱い立場にある生産者の支援をするようなことを仕事にしていたこともあり、
海外への興味は学生の頃からありました。
プロサッカー選手にならないのであれば、大学時代をサッカーだけに注ぐのではなく、様々な経験をして自分の視野を広げておきたい。その一心で一度サッカー部に一ヶ月半の休部をお願いして、大学二年の終わりにインド、ネパール、タイに行きました。これが自分自身にとっての初めての海外でした。
これまで感じていた当たり前が壊れ、視野が広がっていくことを肌で感じられた、大きな経験でしたね。
プロサッカー選手を目指す仲間が沢山いる中、さすがに二度目の休部は出来ないので、海外への興味はありながらも、次の旅は大学四年の冬(サッカー部引退後)で、その時は南米(コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン)をバスで縦断しました。そもそも、大学三年時には、就活するかどうかも悩んでいました。僕は、初めて東南アジアを回った経験から、もっと視野を広げたうえで今後のキャリアや人生を進めていきたいと考えていたので、本当は大学卒業タイミングで世界一周がしたかったんです。しかし実際問題、金銭的な面や、就活で内定をもらっていた現職(株式会社クイック)で働きたいという気持ちが強くなっていたので、一旦は世界一周を諦めて就職をしましたね。
―ここからは日本での社会人時代についてお話をお聞きしたいです。まずは、当時の就活についてお聞きしていきたいです。
当時の就活に関して言えば、まずは学生時代の組織選びの基準とは少し矛盾すると捉えられるかもしれませんが、
どちらかと言えば小さな組織に行こうと考えていました。
大企業を選んでも、組織に対しての自分一個人の成果のインパクトは限られますし、何十年~100年以上の歴史がある既に出来上がった企業で働くこと自体に、余り興味が湧かなかったことも大きな理由です。ただ、就活を進める中で、逆に小さ過ぎる組織を選んでも、今度は組織外での社会全体への影響力は薄まってしまうとも感じてきたので、そういった組織の規模観のバランスは徐々に意識するようになっていきました。また、
自分自身をそのまま表現出来るような環境であるか。
10年後に市場価値の高い自分になれる環境か。
という点も大事にしていました。前者に関してでいうと、今風に言うところの「(評価を受けるために)忖度する」というのが、どうしても自分の価値観からは大きく外れていて、実力で評価される、ありのままを受け入れてもらえている、年次関係なく意見がフラットに言い合えるそういった組織風土的な視点に関わるところです。後者に関して具体的に言うと、これはあくまで一例ですが、BtoB(企業間取引)とBtoC(企業が個人に対して商品・サービスを提供する取引)の片方だけではなく、その両方を経験していきたかったですし、若手のうちから実績を出し、かつ、手を挙げれば様々なチャンスを掴んでいくこともできるような環境がいいと思っていました。そうした企業選びの軸の中で、現在も働いている、総合人材サービスを行っている株式会社クイックに入社しました。ただ、海外という視点で言えば入社時、この会社で海外に行くとはあまり考えていませんでしたね。海外に行くとするならば、この会社で実力をつけてから辞めて、他の何かしらのパターンで行くのだろうなと思っていました。
―ここから始まる日本での社会人生活はどのようなものだったのでしょうか。また、そこからどのように現在の海外でのキャリア開発に結びついていくのでしょうか?
結果を重視して誰よりもやる。
自分自身がピッチに立って活躍できなかった大学時代のサッカー部の経験から、努力する姿勢のみには全く意味がないと思っていたので、とにかく結果を出す、というところに焦点を当てて、全ての言い訳を排除して仕事に取り組んでいました。その甲斐もあってか、業績という意味では、1年目は年間業績新人全国1位になったり、2年目には事業部全体で年間業績全国1位になったりと、取り組んだことが最終的には上手く成績に繋がり、周囲に支えられながらも、若い頃から結果を残せていたのかなと思います。もちろん、そうした結果も、プロセスの部分においての誰よりも多くの失敗の上であると思います。その後、4年目の26歳頃から、メンバーマネージメントがメインで業務を行うようになりました。東京・大阪で計6年半の経験を積んだのち、色んな運や巡り合わせもあったかと思いますが、タイ法人の新規設立に伴い、タイ駐在メンバーに選んで頂きました。ただ、実際には多少海外慣れしてて、とにかくどんなことにも折れずに立ち向かえるタフさを評価して頂けただけだと思いますが(笑)
選んで頂けた時は、大きな挑戦ができる有難いチャンスだと思ったので、タイに行くことを即決しました。
しかし結局、タイ(首都バンコク)はコロナウイルスの影響で、ロックダウンが起こり、すぐに(約半年程度で)日本に帰国する事になってしまいました。再度日本で一年半働いた後、今度は現在も働いているメキシコの駐在メンバーに選んで頂けて、現在に至るという流れですね。
―辿り着いた海外の地とはどのようなものだったのでしょうか?日本人が海外で生活していくその実態。仕事、暮らし、Well-Beingなどまでお聞きしたいです。
まず、仕事の内容としては、私達がしているのは人材紹介業になるので、クイックグローバルメキシコとしては、メキシコで働きたい日本人や現地のメキシコ人の転職支援と、メキシコにある日系企業のニーズに合わせて採用支援を行っています。個人としては、その全体の責任者をしています。ですから、現場で実際に、プレイヤー業務をしているというよりかは、事業戦略を考えながらビジネスを推し進めていくこと、そのためにもメンバーが気持ちよく生き生きと働けるような環境整備をすることなどといったことを通して、強い組織を作っていくことがミッションの中心、というところでしょうか。弊社では、日本人以外にも様々な国籍のメンバーが働いています。
率直に働いている感想としては、凄く面白いです。
メキシコという国も、我々のビジネスマーケットもまだ伸びていきますし、戦略と実行次第で伸びしろのある環境なので、面白いなと思っています。また、メキシコの方々もとても温かく、子育ての環境としても凄くいいなと感じています。僕達家族には、ラテンのノリが合うようで(笑)、家族もメキシコの生活をとても楽しんでいます。
―新田様のこれからについてお話をお聞きしたいです。
全く未定です(笑)。もちろん色々考えてはいますが。引き続き、長くメキシコで働いているかもしれませんし、いつか帰任のタイミングは来るかと思うので、また日本に戻って仕事をしているかもしれません。はたまた、海外の地で自ら起業をして働いているかもしれませんね。一つ言えるのは、今はまだ自分自身の実力やスキルもまだまだだと思っているので、
まずは今の環境の中で自分ができることを精一杯やっていく、
それが次に繋がっていくと思っています。2021年3月に長女が産まれてからは、やはり子供の教育に関しても色々と考えるようになりました。これからを生きていくために、語学力やグローバルな感覚を子ども達には身に付けていって欲しいと思っています。僕たち家族にとっての、良い環境での良い教育を受けさせていくためにも、自分自身がもっと頑張らないといけないなと思います。
―Camfficeは、社会人サッカーメディアです。新田様は、日本での社会人時代、社会人サッカーにも取り組まれていました。その時の経験についても伺いたいです。
大人になっても週末に猛烈に熱くなってサッカーを出来るという事が、純粋にとても楽しかったですよね。熱くなりすぎて、社会人1年目のとき、事実上のリーグ優勝決定戦に負けてしまった際は、本当に落ち込み、翌日午前休を取って休んだことがあります。当時の上司には、怒られました(笑)
社会人サッカーで出来た人の繋がりも、僕にとって生涯の宝物です。
僕が学生時代に想像していた以上に社会人サッカーを通じての繋がりというのは幅が広く、かつ深くて、本当に社会人サッカーを続けてよかったなと思っています。人生全体にとって、社会人になっても本気で打ち込めるコンテンツ(社会人サッカー)は本当に良い影響力を持った大切な存在であると思います。
―最後にこれからを生きる学生にメッセージをよろしくお願いいたします。
「海外でも働ける選択肢を持った自分を作っておく。」
海外が全てではないものの、日本の未来に対して少し暗い話題もある中で、海外でも働ける自分(メンタル的、スキル的な部分、その双方)を作っておく、ということは非常に重要な事であると思っています。語学という観点で言えば、英語やスペイン語は非常に多くの国で話されています。その語学を学んでいくだけでも人生の中で生きていける範囲は大きく広がりますし、語学以外の仕事における能力やスキルに関しても同じ事が言えると思います。
―本日は、貴重な経験をお聞かせ頂き、ありがとうございました。
ありがとうございました。
―取材を終えての学生である私の感想。
「海外へ渡る。」人生の可能性。
人生は、個人の意志決定や努力によって形成されていくものであり、そこに障害はあるが、際限は無いという事を改めて痛感させられた。
自分自身の人生の可能性を信じ、前向きに挑戦を続けていく。
そうした、新田氏のひたむきな姿勢に深く感銘を受けた本取材であった。
私達、これからの学生が目指していくべき姿ではないだろうか。
今回の記事も、最後まで読んで頂きありがとうございました。
次回記事もご注目下さい。
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